意味や目的が後追いしてくる事がある

これはどうしますか?これはどうやりますか?これはね、こうすればこうなるでしょ。だから、こうして、こうやるの。失敗してもいいから自分で考えてやってみなよ。

 

目標や目的、計画や実行、行動の結果や反省、俗にいうPDCAみたいなものをグルグル回す。その方法をアプリを通じてテキストで連絡したり、SNSが勝敗を分ける時代みたいな。確かに便利だし、時間を省く効果もありそうですよね。

 

スマホやアプリには身体がない。人間には身体があって、暑いとか寒いとか、良い匂いとか臭い匂いとか、美味しいとか美味しくないとか人それぞれに感覚が備わっている事が多い。

 

私も今ではスマホを使いアプリを使って連絡はしていますが、感覚のズレを感じる事が増えたのはおじさんになったからという理由だけならまだいい。人間が便利な生活をする上で開発された、さまざまなデジタルサービスに人間が寄り添って、人間本来の感覚が鈍くなってきている気がするの。つまり、人間がデータ化されていって、デジタルが人間化されて行く様な感覚。

言葉が感覚を上回る?

子供の頃の遊びって、何でもかんでも楽しかった記憶がある。そこに目的もなく、ただ楽しかった気がする。急な斜面にダンボールの切れ端みたいのに乗って急降下して泥まみれになったり、東宝ビルトの裏に昔沼があって、そこでたくちゃんとシンバンとひろくんとザリガニを煮干しで釣って遊んだり。

 

急斜面を泥まみれになってキャーキャー言いながら遊ぶ事に目的もなくて、ザリガニを釣って持ち替えたっておかんに叱られるだけなのに楽しかった。

 

私は古い人間だからかオンラインのミーティングをあまり好みません。時と場合ではもちろん活用はします。時間も効率もいいでしょう。回数を重ねれば慣れもあるでしょうし、質もあがるでしょう。平面の画面に映し出された相手の表情も声を見れますし聞けますが、その人をある一定方向からのカメラが捉えた相手しか見えない。

 

リアルなら2時間や3時間がすぐに過ぎ去る時間でも、オンラインなら30分もあれば十分な時もある。やっぱりリアルが好きという人が実際に多いのに、効率重視のデジタルに寄り添う人が出来上がる。オンライン対面ならまだしも、言葉が感覚を上回ってしまうなら、もはや会うまでもなくなってしまうのに、コロナは人と接触禁止を提唱したお陰で、人恋しくなったりする人間味を再確認させてくれた。

好きに理屈なんてない

実際に会ってみたり、実際にやってみたりするから楽しい。はじめから答えが分かっている事に対する安心感を求める人もいれば、リーダー資質のある人からすれば答えのある世界に面白みが薄いと感じる人もいると想う。理屈で人を好きになる事もないし、理屈で何かを好きになる事もない。好きに理屈なんてないのに、説明ができない事には無責任だとマウントしてくる人まで現れるのは少し悲しい。

 

将来の為という言葉で若手を縛って、好きとか嫌いとか、綺麗とか可愛いとかカッコいいとか思う感覚を育てる時間を奪うとすれば若手の将来をそれこそ奪っている事と似ている気がする。暑い時に冷たい水を手にかけた時に感じる気持ち良いという感覚が共鳴であるなら、共鳴の感覚は共通認識に成長したり、共鳴できる事の増加が雰囲気となり原動力となり支え合う礎になりそう。

 

どんな事になるか分からないから止めておこう。少し寂しい考え方に聞こえますが、その考えがまず頭にあると、頭にある事しか新たな体験が出来なくなってしまう。画面タッチするだけで便利で楽な生活が簡単に手に入り豊かな生活と言われながら、人生は寂しい世界に変換されていってしまわないか。

理由は後からでもいい

たくさんの社長が毎月私のところに来てくれています。時間もお金も掛けて。それでもオンラインより、リアルが良いと投資しています。毎月会う社長さんや幹部さんの表情も言葉も毎月違う。

 

その違いに気づき、目的から脱線する話になる事もある。はじめから答えを求める集まりも良いですが、いつも違うから発見もあるし新たな体験もある、新たなアイディアが生まれるから、意味が後から生まれる事もあると想う。

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