成功の保証?成長の保証?

学生の頃は何でも出来る気がしていました。あんな事もやってみたい、こんな事もやってみたい、あれすごいなと好奇心いっぱいだった気がします。学生の頃はというともう30年以上も昔の感覚です。何でも出来ると思っていました。私の場合、今でもやれると思う性格ですが、年齢を言い訳にさえしなければチャレンジ精神は同年代に比べて高い方だと思います。

 

この前話していて気のせいかもしれませんが、何度も何度も「難しい」という単語が出てきた気がするのです。「難しいですね」「それはちょっと難しいですね」「さすがにそれは難しいですよ」私が気にし過ぎなのでしょうか。

簡単がいいの?

難しいの反対は簡単ではないと思いますが、やたらと難しいを振られるとちょっとね。出来るか出来ないかをその場で○か×かの判断を言ってもらえた方が仕事は進みやすいので分かりやすいと思うのですが、難しいというのはどっちなの?頑張れば出来そうなの?無理ですのお断りなの?どっちだろ?

 

無理な仕事を無理やり押し付けたりはしないし、無理を承知で事を進める事もしないから、出来るか出来ないのかだけハッキリしてくれればいいのに、仮に出来ない旨を伝えていただいていても私は怒ったりしませんよ。後で、やっぱり無理ですと言われた方が困っちゃう。

 

もし仮に頑張れば出来そうな事ならやってみたらいいのに。中途半端に出来るかも的な感じじゃなくて、受けるからにはどうにかするしかないな的な。先はどうなるか分からないから仕事って楽しい事もあるんじゃないの。反面でしんどい事もたぶんあるからその時の為に皆の前で宣言しちゃって、困ったら助けてねって言っておけばいいのに。

成功の保証?成長の保証はある

預言者でない限り未来の予測なんて出来ないんだから、成功を保証された仕事へのやり甲斐よりもさ、頑張ってどうにかする仕事の方が成長するしやり甲斐があると思うんだけど。

 

どうにかする為に修正したり、目標を刻んで繋げてみたり、方法はいくらでもあると思うの。どこで集中して仕事をしようとも、何時に仕事をしようとも、夢中になれる仕事に出会えたらなら説明がつかない感覚にハマる気がする。それはやはり難しいのかな?

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