実は真面目な人ほど世間の目を気にしすぎたり、失敗したくない、成功してあたりまえだと、どうにもプライドが高すぎてしまうのに、本人はプライドは高くないと思い込んでいる。勤めるなら大企業がベンチャー的なおしゃれ会社。自分が何をしたいのか、何が出来て何が苦手で何が好きかに関係なく世間の目や同僚の目や部下や先輩の目を気にして物事を決めてしまう。なんかもったいない。
失敗はカッコ悪い事、恥ずかしい事、良く見られたい事、褒められたい事、そんな風にもし思うのであればそれは自分から見た自分に対しての事だけなのにね。
世の中の成功者と言われる方々の講演会やセミナーで、必死こいてメモを取っている写真を撮っている動画を撮っている事は良い事だとは思いますが、世の中の成功者はその行動すらしていない気がする。思い込んだらすでに動いているし、失敗は山ほどしているだろうし、他人に叩かれたりしているだろうし、それでも推進力が強くて修正しながら動いている。考えている暇があるなら動けと聞こえてきそう。
全力が1番かっこいい
自分は恥ずかしくて出来ない事や苦手な事をやって、笑われたりして恥をかくのは嫌だから、できるだけやらない。隣の人はいつでもフルスイングで素振りをしバッターボックスに入りフルスイングをしてくる。その結果は、ホームランかヒットか三振かはこの際どうでもよくて、思い切ってやってみる事に注目が集まる。そこで三振したら、もう俺はいいですと、誰かに譲って次はあるのか?
SNSではったりかまして挑戦する人たち。私の様に走った事もない距離の100キロマラソンに挑戦する人たち。とてつもない夢を語り必死に向き合う人たち。そしてその挑戦をバカにしたり鼻で笑ったり論破しようとする人たち。
最初は無理だ無理だと言われるし、大変だ物理的にも無理だとも言われる事もある。見て見ぬふりをしできれば巻き込まれたくない、忙しいのは嫌だ、大変そうだ、できるだけ関わらない様にしよう、声が掛かっちゃったら仕方ないけどと。そこまではやりたくはないという人は、ソコソコが上限でそれ以上はまずない。この時点で熱量の違いを実感する。
鼻で笑われたら
人になんて思われようと自分が信じた事を笑う人がいても、バカにされてもそれが目に止まっているという事でもある。アンチ的な人が論破してこようものならラッキーだ。それによって注目も集まるかもしれない。そうしているうちに、小規模的な共感者が生まれ次第に仲間が集まって勢いが増す事もある。
人の目を気にして上手に恥をかかない様にするより、自らボケて恥をかく位がちょうどいいのかも。すると周りからまた正論も評論も陰口も言われたりして。しかし知られるという認知率は確実に上がっていく。
体験が付加価値
慎重なお利口さんになるんじゃなくて、行動を起こして恥をかいて小さな失敗だってして、成功から学ぶ事より失敗から学ぶ事の方がはるかに大きいんだから。失敗を気にしている内は成長は極端に遅いの。悪口を言う様な人を見返すのではなくて、驚かせてやればいい。なんとなく気が進まなくても、時間はしっかりと過ぎるの。明日より今日は若いから明日より今日の方が動ける体がある。なんでも協力してもらおうとせずに、全力で向き合っていると応援してくれる人が現れて協力してくれるもの。
幸せや豊かさはゴールにだけあるんじゃない。その道のりに、やり甲斐や小さな達成感や見た事のない景色がたくさんある。その景色こそが体験で得られる自分だけのノウハウになったり、誰かに語れる時にはおもしろおかしく話せて会話の深さにもある。
検索して知っているだけの人にはない実体験はその人の付加価値を高めてくれる。今REPSS社では田口が最も経験値を高めている人のひとり。