「難しいですね」この魔の言葉。私は使った事があります。自分で発したこの言葉は自分に対しての言い訳だと私自身は受け止めています。途中で諦めるという事は、夢や目標から目を逸らし、難しい現実ばかりを見て挫折してしまうのでしょうか。その難しいと感じる現実を、それらを乗り越える気力を無くすほどのことなのでしょう。
諦めるとは、仏教で「明らかを見る」が語源だそうです。諦めないとは「明らかを見ない」なのでしょうか。
夢や希望や目標に対して情熱を燃やしている内は、目の前の事が仮に上手くいっていなくても突破する勢いみたいなものがあるのかもしれない。ところが、思いつき程度や誰かに誘われて行った程度の事になると、難しい事へ直面するとすぐ「難しい」と事を難しくしてしまう。まずは一つ、徹底的にやり込む。次から次へと向かってくる課題を乗り越えて、成功するまで粘りに粘る。いろんな事をやっている暇はない。