事実はいつもひとつですが、解釈はそれぞれの見解次第で無数にある。たったひとつの事実に対して、10名が関わっていれば、10名それぞれの理解や解釈があるものです。
加害者が被害者に写る時もあれば、被害者が加害者に写る時もある。裁判員裁判で複数並ぶのも理解できます。何が正義なのかは、その時や自分の立ち位置で違うと思うけど、事実は数値や論理的証拠や物証で証明できて、感情論で伝えると、相手ごとに話がすり替わる。
忘れない様にテキストに残しておくのも、その先に何か起きそうな気がする時の直感として有効でしょう。私もあの時、テキストに残しておいて、よかったと思う事もしばしば。